※ついつい、見てしまう作品… 『紀ノ川薔薇文様のアロマランプ』
この作品を見ているのが好きでねえ。
何度みても飽きないし、いくら見てもいいんですよね。
やがて、私はこうして何度も作品を見ているのは、
私が作品に呼びかけられるからじゃないか、
なんて思ったりして。
そのうちに、
作品に心があるのか!?
ふと思ったり…
※パレントフェアにて出品。時と所によって違う表情になります。即日売約済
そんな時、比較認知科学者の森山徹氏が
「ダンゴムシに心はある。石にもある」
と唱えていると知りましてね。
ならステンドの作品に心がないわけがない!
と森山氏著『ダンゴムシに心はあるのか』を読みました。
冒頭著者の『私のいう心とは』が長々続き…
ちょっと不安…
なんか違うかなあ。
それでも、その後の緻密に延々と続く歩行実験は、
ダンゴムシがかわいくなり、付き合いました。
ダンゴムシ、大好きになりましたよ。
それで、ダンゴムシの心って?
残念ながら、私にはよく分かりませんでした。
※この作品も困ったことに呼びかけて来ましてね…『牡丹のアロマランプ』
ダンゴムシに心を求めることをあきらめたら、
西郷竹彦氏の文芸教育論を突然思い出しました。
40年前に私が学んだ氏の理論では、
『呼びかけられた』のは、『呼びかけられた』と
思った私がいるということ。
『民話の蛇になった女から何を読み解くか』で西郷氏は
実家に戻された嫁が途中の湖で水を飲もうとしたとき、
湖面に映った蛇になった自分の姿に驚くのは、
自分の姿が蛇に見えた一人の人間がそこにいた、と。
それは語り手の中に語り手の真実があるということ。
これはいい。
これなら、
妻の作った作品に心を感じる私がいてもいいかあ。
そういうことにして、
あれこれ考えるのはもうおしまいにしました。
※青緑のアンティーク硝子は、困るほどいい! 完成直後に売約済み
「ダンゴムシに心はあるのか」の本、他に使えそう。
勤め先のやんちゃな「そら君(仮称)」、
ダンゴムシ、大好きでね。
「集めたダンゴムシ、部屋には持ってこないでね。」
とそら君に言うとき、ダンゴムシの話がいっぱいできそう…
(2018.5.3 記)
追伸
「ダンゴムシに心はあるのか」の本で、
本を売る編集者、出版社のプロ根性をみました。
私のようにとびつく人が相当いたのか半年で第5刷り。
この手の普通は売れない本をねえ。
ただ、著者のダンゴムシ愛はほんといいですね。
救いです。