心に灯るあかり *あとりえ 悠*

*あとりえ 悠*は妻・一ノ関悠子の小さなステンドグラス工房。妻のつくった作品を写真と文章で紹介します。ステンドグラスのよさが伝えられたら幸いです。

No.240 生かされて紡ぐ「あとりえ悠」作品~其の3

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「桜うさぎ」制作2009年

 

 2007年秋、

妻はユザワヤフレンドクラブというSNSに加入し、

投稿作品や季節のコンテスト出品作品作りに

没頭するかのようでした。

外に出るのがまだ苦手な頃です。

妻はよくパソコンに向かっていました。

 

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「ココペリのランタン」(制作2008年)

ココペリを教えてくれたのもお仲間の方です。
 

いつもパソコンに向かっているように見えた妻に、

仲間ができました。

仲間はパソコンを通して外の風も妻に運んでくれました。

アメリカのココペリってこんなの…

 

 

やがて、「お友だち」のグループ展に妻は出かけました。

パソコンは人を外に連れ出すものだ知りました。

 

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「花影」ユザワヤ創作大賞金賞  (制作2008年)

妻の大賞受賞のお祝いの場をみんなで設けてくれました。

わざわざこのような場を設けてくれてと、

帰りのドアを開けたとき胸が熱くなって困りました。

 

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妻が人生最初で最後との思いで取り組んだ個展。

2009年5月に開催。

妻の第1回個展。

そろそろオープンかと会場ドアを開けて驚きました。

ずらりと並んだご婦人方の大集団!

駆けつけてくれたユザワヤフレンドクラブの方々に、

妻と二人で感激しました。

 

妻はもの作りを通してのお仲間のみなさんに、

作る意欲、生きる意欲をいただいている。

私にはそう思えました。

お仲間どうしで呼び合うのは、いつもハンドルネーム。

妻の名前はPOLOさん。 

 

ユザワヤフレンドクラブのお仲間お一人お一人に、

心より ありがとう!です。

お陰様で、

POLOは今日も精一杯元気にやっています。

(2019.3.14 記) 

No.239 小さな灯り~舞い降りる天使

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天使

舞い降りる


お幸せにね 

 

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「娘の結婚のお祝いです。よろしくお願いします」

お母様が春に嫁がれるお嬢様と一緒に

我が家に来られました。

お嬢様は、すでに作品イメージをもたれていて、

我が家の展示作品50点程を

妻といろいろ話しながらご覧になり、

すぐに形状、色を決められました。

使う硝子も実際の硝子を見ながら妻と相談していました。

 

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お母様が何気なく話す娘へのささやくような一言に、

私は母の嫁ぐ娘への深い思いを感じました。

 

ご結婚、おめでとうございます。

 

舞い降りる天使と星のランプ 、

できましたよ。

 

(2019.2.26  記)

No.238 生かされて紡ぐ「あとりえ 悠」の作品~其の2

  其の2

 

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「青い藤」(2004年制作)

田中さんが最初にお求めくださった作品

 

15年程前、妻が所属するステンド教室の作品展。

妻の「青い藤」を気に入ってくださった田中さん。

生徒作品が求められるとは考えもしなかった頃。

さらに、

今度家を建てたら、またお願いね。

 

その後、妻は母の介護から休職、体調を崩しての退職…

ステンドを作ることのできない日々が続きました。

作品展で声をかけられて3年、

突然の田中さんからの連絡。

お約束のように新居には妻の作品が欲しいとのこと。

 

自信を持てない妻に田中さんが言いました。

あなたの感性が好き!

見なくてもあなたの作品、すべて好き!

妻はどんなに励まされたことでしょう。

数年間で19点の作品を田中さんにお納めしました。

 

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胡蝶蘭」(2007年制作)

田中さんのご主人の好きな「胡蝶蘭」です。

宮大工さんがパネルを窓枠に取り付けました。

 

 

その頃から、妻は、

立体的な彫りができるサンドブラスト硝子彫刻と

絵付けを習うようになりました。

それらはステンド作品にいらないだろうと

私は妻に何度も言いました。

習いに出かけて行ってぐったりと疲れて帰ってくる妻。

また調子が悪くて出かけられない時も度々ありました。

 

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「カトレア」(2007年制作)

階段の踊り場の「カトレア」のパネル

 

結局、

妻は硝子彫刻も絵付けも習うことをやめませんでした。

やめられなかった…多分ね。…

  

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硝子彫刻の技法を駆使した作品「鷺草乃原」(2014年制作)

 

妻の作品を初めて見た人がおっしゃいます。

「わー、こんなステンドグラス、初めてー!」

そう言って喜んで見てくださるのは、

妻が必死で身につけた硝子彫刻と絵付けが

妻の作風をかもすからなのでしょう。

 

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2016年制作

長年あこがれてきた上村松篁の「月夜」の世界に挑戦した作品。

彫った後に絵付けでトウモロコシの実を黄色に仕上げました。 

 

あきらめずに挑み続けることができたのは、

妻の作品を楽しみに待ってくれた田中さんのお陰です。

妻はよく言いました。

田中さんが喜んでくれる作品を作りたい…

 

昨年「あとりえ 悠」十周年を経て、

田中さんにお礼の報告に行きました。

田中さんはお孫さんのお世話で忙しいなか、

あのときと変わらない笑顔でお迎えくださいました。

 

(2019.2.19 記)   

No.237 雪牡丹の灯り

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中国は唐の時代。

則天武后が遊園の際、

全ての花に、“花を咲かせよ”と命じました。

みな命じられるままに花を咲かせました。

ただ牡丹だけが従いませんでした。

牡丹は女帝の怒りにふれ、

長安から追い出されました。

しかし、人々は、猛威にもめげない花と牡丹をたたえ、

一層その風格と人情のあつさと天下一の美を愛しました。

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サンゴバン社のアンティーク硝子に彫った雪牡丹

牡丹に感じる品格は、

遠い昔、唐の人も感じていたのでしょうね。

そして、愛してきたのでしょう。

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組み合わせる前のピース

雪牡丹は

妻の命名した作品名。

雰囲気の伝わる名前です。

 

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この硝子に彫った雪牡丹、やっぱり素敵ですね。

同じものができないとなると、

余計にそう思うのでしょうか。

今回雪牡丹を彫った硝子は、すでに廃番になっています。

もう手に入らない稀少硝子で、

妻は大事に保管してきたものを今回使いました。。

この高価な手作りアンティーク硝子、

制作したサンゴバン社(フランス)に100枚などと

大口発注をかけたら生産してくれるのでしょうか。

まあ、それも一個人作家の範囲を超えた話ですが…

手に入らない硝子なので全く同じものは作れませんが、

唐の牡丹のように猛威にめげずに、

いつかどうにかなることを信じ続けたいものです。

 

(2019.2.10 記)

No.236 生かされて紡ぐ「あとりえ 悠」の作品~其の1

お陰様で「あとりえ 悠」は12年目、ブログも7年目になりました。みな様に心より感謝申し上げます。

忙しくステンドグラスを作る妻を見ていると、私には十余年前体調を崩して苦しんでいた頃の妻が遠い昔のように思えます。そして大勢の方々が妻を支え励ましてくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいになります。感謝の気持ちを記憶と体力のあるうちに「生かされて紡ぐ『あとりえ 悠』の作品」というテーマでまとめてみようと思いました。

ご笑覧いただければ幸いです。

 

其の1 

 

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「パンジードーム」(1999年制作)

妻が若かった頃、

お向かいの奥様にステンドグラス教室を誘われました。

妻は相変わらず教員の仕事に夢中のまま。

それから、10年。

人はそうやって何もしないまま時間は過ぎるのよ、

とまた誘われ、

妻のステンドグラス作りが始まりました。

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「ピオニー」(1998年制作)
 

当初ティファニーランプを作っていました。

私はその作品に全く興味がありませんでした。

世界中の人が同じ型紙で作品を作るなんて、

どんな意味が?

妻を理解しようとしない亭主の典型だったその頃の私。

(その頃…? まあ理解と言われると今でも自信はないねえ。)

 

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行灯「藤」(2001年)

忙しい教員の仕事の合間に行灯「藤」を作りました。

驚きました。和風のステンドグラス、いいなあ。

初めてそう思いました。

この作品はユザワヤ創作大賞で銅賞でした。

長い間木目込み人形を教えている妻の母が、

受賞に驚きながらとても喜んでくれました。

妻はこの頃から、

日本の人々の好きなモチーフで、

日本家屋にあったステンドグラスを意識していました。

 

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それから程なくして、

妻はステンドを作らなくなりました。

買い込んだ硝子も全部捨ててしまいたいと…

やりがいのある教員の仕事と引き取った母の介護。

その狭間で苦しみ、無理をして体調を崩してしまいました。

もう一度学校で子ども達とふれあいたい。

願いの叶わないまま退職。

妻の無念さを息づかいで感じながら、

私はその当時校長職で、自分の仕事優先。

妻が苦しんでいるのに、

肝心な事は何もできないままでした。

床を重く漂うような時間の中に妻をおいて、

私は仕事に出かけていました。

 

たまの休みに二人で、

遠くの山に行ったり旅行に行ったりすると

妻は元気が出ました。

山の中の木々をわたる風を感じると、

ここでは深呼吸ができる…

せせらぎにかかる木橋を渡ろうとすると、

人の手の入らないこの音がいい…

流れる水の心やさしいリズムを

ただ静かに聴きました。

自然はいいねえ…

ふっともれるつぶやき。

ふたりでうなずいていました。

  

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「鷲のパネル」(2006年飛田邸)

私がどうする事もできないままのそんな時、

市内に転居してきていた中学校の同級生の飛田さんが

新たにお家を作ることになりました。

そして、妻は飛田さんからこんなことを言われたそうです。

我が家に悠子さんのステンドをいれたいの。

作ってくれたらだけど…

飛田さんによって、

もうできないと思っていたステンドに妻は向かい始めました。

2年に及ぶブランクの中での再びの歩みでした。

モチーフは飛田さんの長男の描いてくれた鷲。

私には鷲が今にも飛び出しそうに見えます。

妻はこの絵にも助けられたんだろうなあと思いました。

体調を壊して退職して、

もうステンドは作らないと言っていた妻が、

3枚のパネルを作り、お納めしました。

 

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かつての同級生の言葉のぬくもりが、

妻の心をとかしてくれたと、

私は、今でも、何度でも、

思い出すのです。

(2019.1.19 記) 

No.235 かずえさんの灯り

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枝振り見事な楓の木に迎えられ,

刈りそろえられた芝の庭の先の玄関扉を開けると、

そこに「かずえさんの灯り」。  

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年内にお納めのお約束を果たせ、

妻はホッとしていました。

モチーフはかずえさんの身の回りの、

楓、桂、凌霄花ノウゼンカズラ)、福寿草、愛犬、愛猫。

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取材でお邪魔した時も

お納めしての写真撮影の時も

妻はかずえさんと、

私はご主人とおしゃべりをしていました。

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お納めしたかずえさんのお家のあたりは、

私が二十年程前小学校副校長として勤務した地域。

新宿まで私鉄で30分内ながら、

静かでのどかな所でした。

私の大好きな、今でも大好きな所です。

子ども達を農家に引率してにぎやかに田植えや稲刈り。

夏には夜空舞う蛍。

校舎後ろの畑からの春のにおい。

そんな何もかもが、

人の心をつつみ育む自然に満ちていました。

そこに暮らす人々もまた同様に、

子ども達を包んでくれました。

私の生まれた田舎以上に田舎に満ちていました。

 

ところで、

PTAで活躍されていた、ほらあの方?

乳牛を飼われていたお家の方でしょ、今は…?

ご主人と懐かしいお名前を口にすると

あの頃と今がいっしょになるようでした。

かずえさんのお宅にお邪魔させていただいて

私には特別なひとときとなりました。

 

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仕事で動き回る妻の横、

自分勝手にご主人との話に興じている私。

まあ、いっか…

 

 

さて、間もなく今年も終わり。

紅白歌合戦も佳境です。

みな様には、本当にお世話になりました。

大勢の方々のご支援ご協力に支えられて、

妻も制作を続けることができました。

心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

(2018.12.31 記)

No.234 森の灯り~冬

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登場人物:兎 狐 栗鼠 オコジョ 木

(言葉のないほうが楽しんでいただけるかなあ…)

 

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「美術作品と言葉」

 私は小さい頃から絵を描くのが苦手でした。

青空のつもりが、今にも土砂降りになりそうな空となり、

自分の絵を見て泣きたくなりました。

工作の仕上げには手間取り、

先生の「急がなくて大丈夫よ」の言葉に

私の頭の中はパニックとなりました。

そんな私でも美術作品を見るのは好きです。

妻がステンドを作るようになって、

美術館巡りがいっそう楽しいものになりました。

 

2014年の日展は、マスコミを賑わした事件もあり、

伝統ある日展を大幅に見直しをして、

「改組 新 第1回NITTN」開催の年でした。

そんな意気込みを展示された作品に感じ、

日展アートガイド2014」を購入しました。

そのガイドにあった外部審査員本江邦夫氏の言葉です。

 

特薦審議でのこと。

20名の審査員それぞれの推薦する2点の作品応援演説で

多くの作品群に今まで紛れていた一つの作品が、

急に溌剌として輝き出すという感動的体験を

述べられていました。

言葉の力とおっしゃっていました。

 

このお話に、

私自身も素人ながら深く納得しました。

かつて、画家(版画家)の吉田博の作品展で、

山の版画を楽しんでいたときに、

氏自身の言葉に作品をより深く味わうことができました。

また子ども達の描く世界があまりにも豊かで創造的で

わくわくした展覧会を観たことがあります。

子ども達の描く世界を一度言葉で掘り起こす過程を経たと

図工教師は私に教えてくれました。

今まで私は「美術作品と言葉」の密接な関係と

その重要性を何度も感じてきました。

 

とは言っても、

一切の言葉と予断のない美術鑑賞もまた

刺激的で楽しいものだと思います。

私は「森の灯り~冬」の作品をじーと観ていて、

一切の言葉と予断のない状態で作品を目にするだけの

そんな作品紹介もいいなあと思ってしまいました。

 

(2018.12.10 記)