妻のテレイドスコープをご注文くださった方から、
お電話をいただいた。
届いたので早速のぞいて見られたとのこと。
その世界の美しさに昂奮する程の感激を覚えたと
お話くださった。
1平方センチメートルに満たない小さな覗き穴の先、
鏡と水晶玉のつくりだす映像に人は何かを見る。
何が見えるのだろうか。
(娘さんから送られてきた画像)
彦一は、遠眼鏡(とおめがね)をのぞいて言った。
「これはすごい。天竺まで見える」
それを聞いた天狗は、
「ウソだろ」と言いながら
のぞきたくて大事な隠れ蓑と遠眼鏡を交換してしまう。
その後の顛末は「天狗の隠れ蓑」にゆずるが、
「ウソだろ」と言いながら
気持ちは抑えきれない。
人の心の有り様はままならない。
そして、見えるはずのない天竺が、
見えるか、見えないかも、
人それぞれの心の有り様だと、
私は戦後の文芸教育で優れた理論と実践を残した
西郷竹彦氏の民話について述べた言葉から教わった。
“離縁され、生まれた里に帰された女が、
湖面に映る白蛇になった自分を見て、
嘆いて身を投じた”というのは、
白蛇になってしまった女がいたのではなく、
湖面を見て、自分が白蛇に見えてしまった女が
いたということだよと。
西郷氏は
そう見えた人を、その心を
言葉を通してたぐり寄せ、見つめていた。
テレイドスコープは
自分で被写体や光を求めて映像を写す。
その人のその時の気持ちのままに・・・
何が見えるのだろうか。
電話での
美しくって興奮したという方の声、
私には嬉しい響きだった。
作品&写真(2015.8.) ステンドグラス*あとりえ 悠*
(2015.8.19 記)