「たんぽぽの灯り」 制作2024年4月
この作品のわた毛
どうしてこんなに生き生きしていているのでしょうか
~わた毛舞う頃に~
風に誘われるように空に飛び立つたんぽぽのわた毛
見ていると思い出すのです
私の見た50年前の光景
忘れられないのです
上京した私が大学受験勉強資金作りに始めたのは汲み取り屋の助手。バキュームカーがいっぱいになるとその後の助手は忙しい。運転手が車を処理場に走らせてタンクを空にする間に、助手は走り回って次のエリアの住宅一軒一軒の便壺の蓋をとってかき混ぜます。
※1970年代当時の下水道普及率は50%。多くのバキュームカーが街の中を走って糞尿の回収をしていました。
春の昼近く
汲みとり会社の道路向かいに
真新しいランドセルの一人の女の子
道路の横断の機会をうかがっているのが見えました
車は途切れているのになかなか渡ろうとしません
私には分かりました
避けているのは車ではなく、人の目なのです
バキュームカー3台が
いつも駐車しているする我が家に入るのに
女の子には決断がつかないのです
私は初めて、人が人を見るときの目には言葉以上のものを伝えていることを知りました。通りすがりにちらっと作業をしている私を見る目に、とげのように私の心に刺さるものを感じる時があるのです。[世の中って」「人って」…「こうなんだあ!」汲み取り屋になって知ったことでした。
たんぽぽのわた毛が
風に乗ってさっそうと飛ぶようになった頃
女の子は立ち止まらず
自分の家に入るようになっていました
それ以来
春になると
あの女の子は
元気にしているのだろうか
思い出しては
元気にしていることを
願わずにいられないようになりました。
幾度となく思い出し
もう50年になりました
そして
今は分かるのです
周りを気にして家に入れなかった女の子の姿は
あの時の私自身だったのです
そして
あのとき
被害者意識を感じた私の心にこそ
人を見かけで判断する自分がいたのです
(2024.5.27 記)