心に灯るあかり *あとりえ 悠*

*あとりえ 悠*は妻・一ノ関悠子の小さなステンドグラス工房。妻のつくった作品を写真と文章で紹介します。ステンドグラスのよさが伝えられたら幸いです。

No.176『花影』に想う~“盗ってねえべ”と母

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(2008年制作 ユザワヤ創作大賞金賞受賞)

妻の作った「花影」。

桜咲くその裏に見えるは

障子と妻は言う。

 

私はその障子のほのかな灯りが好きだ。

心が安まるのだ。

心が温かくなるような気がする。

それは子どものころ遊び疲れて家に帰る時、

まだ遠くに見える村の灯りのようにも思う。

我が家の戸を開けたときの

夕げのにおいとともに目に入る

茶の間の灯りのような気もする。

 

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そしてそこには母がいた。

私の4人兄弟の中でただ一人女性の姉は

母をごく普通の母親だったという。

しかし、私には何かとんでもない大事なことを

残してくれた母に思える。

 

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 (田んぼに囲まれた小さな村から望む遠くの山。)

 

小学校2、3年生の頃だった。

村の男の子は上級生の子をガキ大将に、

村中の7,8人でいつもみんなで遊んでいた。

ガキ大将が私たちに、“町に行くぞ”と言った。

みんなぞろぞろついて行った。

漁師の生けすをさがして、

ガキ大将は手際良く大きな鯉を盗ってきた。

それから、他の男の子に“おまえも盗ってこい”

命じられた男の子は言われるまま盗ってきた。

私は胸騒ぎを抑えられないまま村に帰った。

鯉はガキ大将が釣ったことにして持ち帰った。

 

数日して、ガキ大将は言った。

“みんな、町に行くぞ”

私はいやと言えず、また一緒に行った。

漁師の家の近くで、ガキ大将は命じた。

“おまえ、盗ってこい”

“次はおまえ、行ってこい”

そして、凍るような心地の私にガキ大将の声が響いた。

“おまえ、行って盗ってこい”

私はいやと言えなかった。

私も鯉を盗った。

暴れる鯉は重かったかも知れないが、

その重さは感じなかった。

村に帰るときの足を引きずるような心の重さが

いつまでも消えなかった。

 

村にうわさがひろまった。

子どもたちが町に行って鯉を盗んでいる!

そんなとき、

寝床に付いた私の枕元に母がいた。

そして、私に言った。

「しげお、おまえだば、鯉、盗ってねえベ」

それだけだった。

枕元を去る母の後ろ姿は丸く小さく見えた。

私は布団にもぐって泣いた。

泣けて、泣けて、

せつなくって泣いた。

 

それからほどなくして、またガキ大将は言った。

“町に行くぞ”

とっさに私は、

“おら、行がねっ”

ガキ大将は許さなかった。

命じられた子どもたちに蹴られ、

殴られるままだったが、

不思議と痛さを感じなかった。

“鯉を盗らなくってすんだ”

そう思ったら、

“盗ってねえべ”と言った母の顔が浮かんだ。

 

それから私と遊ぶ村の子どもは一人もいなくなった。

しかし、寂しさは感じなかった。

 

このときの母の言葉を

大きくなって、親になって、

何度も思い出した。

かみしめた。

“盗ってねえべ”

この言葉で私は変われた。

 

親の願いだったのだろうか。

親の心の奥の静かな

信じたいという叫びなのだろうか。

最近ようやく、それは

“祈り”だと思うようになった。

 

“盗ってねえべ”

母のこの言葉を思い出すたびに

私は感謝する。

 

享年95才。12月6日安らかに眠る。

ありがとうよ。ありがとうよ。

母へ。

  

(2016.12.18 記)

『花影』は妻と私には特別な作品です。

よろしかったら妻が制作時の文章もお読み頂ければ嬉しく思います。

拙ブログNo.56 「花影」 → http://bit.ly/1J6Lkax