「木の灯り」青年館ホールさ納めたのは、
去年夏だったものなあ。
そのあと、
見たいという声に後押しされだべか、
青年館ホールから追加注文あったもの。
春に、ホールのホワイエにこの「桐の灯り」、
取り付けらえだった。
たいした立派な鉄の枠もこしらえでくれで、
ありがでゃあ。
催事のチケットあれば
誰でもいづでも見れるどー。
佐藤佳奈さんの書と一緒だもの。
秋田の森林組合長さん、見てけれえ。
桐の花のうしろの山、
ご夫婦で案内してけだ、あの鳥海山だべえ。
本当にお世話になったすなあ。
また、お会いしたいすなあ。
秋田の木がじっぱし使われている青年館ホール。
嬉しいでゃ。
おらの生まれた所の木だすべえ。
そのホールに、ちま(妻)のステンドだべぇ。
ありがでゃ。
えがっだあ。
秋田の言葉だば、
分かりにくかったすべえ。
ごしゃがにゃ(怒らない)でけれ。
へぇば。
《方言と一冊の本》
「おら おらで ひとり いぐも」(若竹千佐子著)
方言の威力と表記の工夫に感心。
また主人公74歳の生活力と絶え間ない想像力、
圧倒されました。
その影響か…
今回突然、秋田弁で書きたくなりました。
ー 熟考や節度ってねべぇか?
あえー、すかたねっちゃ。
ところで、
作中の主人公桃子が
オレオレ詐欺に引っかかっての回想場面、
はき出すその言葉にハッとしました。(本文P51)
子どもがかわいくて
それで引っかかって、
金を出すのではない。
『子どもの生きる喜びを横合いから手を伸ばして
奪ったような気がして仕方がない』
それが親だ。
我が子への贖罪なのだ!
桃子のこの言葉に、
私は我が子とのことを振り返って、
そんなことはないと、
言い切れる自信はありませんでした。
『おら おらで ひとり いぐも』
刺激的な一冊でした。
(2018.6.16 記)