拙ブログNo1「星空のドームランプ」(2012.5.2) 参照→https://bit.ly/1T01Agq
7年前でした。
卒論指導教官として大変お世話になり、
結婚式のご媒酌人にもなっていただいた恩師に
ブログを始めた報告をしようと電話をしました。
「先生、お久しぶりです。お元気ですか。」
「おー、久しぶり。君はどうかね?」
先生の元気なお声に安心しながら、
「先生、家内の作品紹介のブログを始めました。」
と言うや突然!
「ブログ?君もっそんなものをやるのかっ!」
一喝。
さらに そんなものをやるなんて嘆かわしいとばかりに
大学内における若手研究者の情報感覚への危惧や
その時先生が愛読されている古典的な分類学の書の
面白さについて語られました。
私は、学生の頃にはない程に
「はい…はい…」と聞きました。
不思議なことに
定年退職後のこの年で叱られ、
叱られながら、
叱ってくれる人がいることのありがたさを
かみしめていました。
拙ブログNo.100 「鷺草乃原(さぎくさのはら)」(2014.10.10) 参照→ https://bit.ly/1rZHUvO
2年前、先生は亡くなられました。
近親者でのお通夜のお清めに出席させていただいて、
私が東京から来た昔の教え子だと紹介されました。
隣席の地域の障害者支援活動をされている方が、
地域の活動は先生の支えがあったからこそ、
続けてくることができたと私に語られました。
ああ、やっぱり先生…
私たち出来の悪い学生とお付き合いくださった先生…
私の6畳間のアパートで深夜までみんなで飲んだ後、
男子学生7、8人の雑魚寝と思ったら、
そのうち一人は先生でした。
拙ブログNo.150 とお(10)の木の灯り ~檜山路にて(2016.4.9) 参照→ https://bit.ly/2TwQGVX
時折、
ブログを書こうとPCに向かうと先生を思い出すのです。
もうあれから7年。
「先生、すみません。出来の悪い学生で…
先生、まだ、やめてないんですよ、ブログ。」
すると、
「君にはしようがないな。いつもききゃあしない。」
先生の苦笑まじりの声が聞こえてきそうです。
卒業祝いでみんなで飲んだ後、先生、おっしゃいましたね。
「君は将来どうせ、矢尽き、刀折れ、野たれ死だ。
その時は骨ぐらい拾ってやるぞ。ハハハー。」
“思いっきり生きなさい”との先生のエールと気づいたのは
人生をあれこれ生きてきた50代になってでした。
私の骨を拾うんじゃなかったのですか。先生。
私は気を取り直してブログの画面に向かいます。
ブログで誰かに迷惑がかからないよう、
気持ちを引き締めて。
拙ブログNo.201北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(2017.9.4) 参照→ https://bit.ly/2IC9jVe
先生、
学生時代一緒にいろいろやったヒロもヤマちゃんも
あっという間に逝っちゃって。
こっちは寂しくなってかないません。
でも、先生、二人に言っておいてくれませんか。
当分そちらで、先生と3人で楽しくやりましょうって。
それから、またみんなで雑魚寝なんていいですよねえ。
そちらでのことになりますけど。
その時は先生、またご一緒にお願いします。
合掌
(2019.8.13 記)